2002年11月 思想
世界各地でテロが多発しています。昨年の9月11日のテロを発端として、各地での紛争も激化しているようです。また、今まで事件とは無縁だと思われてきた場所でも、多くの命が犠牲になっています。あれから世界では何かが変わってしまったのかもしれません。
ある新聞にイスラム教の信者から投書があったそうです。その内容は「イスラム社会やイスラム教すべてをテロと結びつけないで欲しい。」というものでした。それに対する意見として、新聞社の方が書かれたのでしょうか、「確かに偏見は良くないが、そう言うのならば彼等はもっと自分達の主張を通すべきだ」、という旨の記事が掲載されていました。私はこの意見には反対です。多くの偏見があるからこそ、彼等は自分達の主張を強く表せないのではないでしょうか。何故、彼等が胸を張って堂々としていられないのか、それは彼等が悪いのではなくて、彼等を特別視する一部の人がいるからなのではないでしょうか。一部の人達が彼等をテロリストと同党とみなし、彼等の生活や習慣をないがしろにし、彼等を自分達の社会から排他しようとしているからなのではないでしょうか。まず先に偏見を取り除いて、平等な関係の中でお互いの主張をする必要があると思います。彼等にはその平等が与えられていないことが多いような気がしてなりません。
私はこの特定の宗教を擁護するつもりはありません。個人的な意見ではありますが、イスラム教は好きではありませんし、自分は恐らくこの先も選択することはあり得ないと思っています。が、しかし、宗教は個人の自由ですから、誰がどんな宗教を選択していようと、その人を非難したり嫌ったりすることはしません。国によっては、宗教は政治であり、国家であり、またその個人の生活でもあります。それを否定するようなことはあってはならないと考えています。宗教にはそれぞれの慣習があり、そして思想があります。それが例え自分の理解の範疇を越えていたとしても、それだけの理由で(私の考えでは「それだけ」です。)、差別や偏見があってはならないと思います。例え、理解は出来なくても「受け入れる」ことが必要だと思います。それらの慣習や思想を否定してはいけないと思います。
そんな考えの中、今、ある特定の国が注目を浴びています。偏見はいけない、そう思っていても、どうしてもその枠をすんなりと外すことが出来ないのは私が日本人だからでしょうか。いえ、それだけでなく、ある日突然自分の人生が奪われる、そう考えるとやはり彼の国の行ってきた行為を許すことは出来なません。
今後の対応である永住帰国については意見が割れているようです。これは本当に難しい問題だと思います。突然人生が狂ってしまった人々は、その後、必死になって生きるための努力をしてきました。「生きる」、そのためだけに黙々と頑張ってきたはずです。様々な想いが交錯する20余年間だったことでしょう。その苦しみや辛さ、哀しみを理解することは出来ません。それなのに、そこでゼロからスタートした人々に対して、やっぱりまたこちらでやり直しなさい、と言うのも酷な気がします。自分達のそれまでの歳月は何だったのだろうか、そう思ってもそれは仕方のないことではないでしょうか。
・・・それでも、私は日本に居て欲しい、日本で生活して欲しい、酷なことだとわかっていてもそうして欲しい。何故ならば、彼等は犯罪の被害者なのだから。本来の場所に戻るべき、そう思っています。彼の国の多くの慣習や思想は間違っている、そう思わずにはいられないのです。
では日本が彼等にとって幸せな国なのか、それは偏見の枠を外すことが出来ない私にはわかりません。彼等の今までの苦しみを知ることが出来るのならば、彼等が培ってきた全てを知ることが出来るのならば、もしかしたら日本は住みやすい国ではないのかもしれません。「洗脳」という言葉もありましたが、彼の国から見れば、日本人こそアメリカや欧州に洗脳されている、ということにでもなるでしょう。思想は根強く国家を支えています。政治を担っています。それで一国が出来上がっています。この思想と歴史が彼の国と日本、そして巻き込まれた人々の中に大きな渦を巻いているのです。
ふと思います。自分が20歳前後の時、突然、両親から「あなたは本当は日本人ではなくて、○○とうい国の人間なんだよ。お父さんやお母さんはその国からさらわれてきて、今ここで生活しているんだ。だからお父さんとお母さんの国籍がある国においで。」と言われたならば・・・、どうすれば良いのでしょうか。それまでの年月は何だったのだろうか、果たして自分はその新たな地でやっていけるのだろうか、友人は?恋人は?将来の夢は?素直に「その国に行く」と言えるでしょうか。娘や息子達は引き裂かれんばかりの想いを抱えることでしょう。そしてまた、その現実を伝えた両親はどんな気持ちでその子供達を見つめるのでしょう。そして更に、その両親を待ち続けてきた人々はどんな想いでその親子を受け入れるのでしょう。
一つの思想の元に行われた行為によって、多くの悲劇が生まれてしまいました。何の罪もない人々が苦しんでいます。世界は様々な思想で埋め尽くされています。しかし、それは「対立」すべきためのものであってはならないと思います。苦しみを生み出すものであってはならないと思います。思想は自分の身を守るためにあるのではなくて、自分というものを示す一つの手段であるべきです。
人々を苦しめるのが「思想」ならば、私はそんなものはこの世の中にいらないとすら感じてしまいます。
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